令和6年度曳山行事 幕洗川一区

 

町内名 幕洗川一区
委員長名 齊藤康英
曳山置場所 幕洗川一区町内会館前
外題 義将落命 翻旗はんきの六文銭
見返し 人は減り 熊だけ増えた 十六年
解説 大坂夏の陣天王寺口の合戦において、死を覚悟した真田 信繁は決死の突撃を敢行。毛利・明石・大野隊なども奮戦し、 徳川勢は総崩れに至った。信繁隊は家康本陣に二度にわた り突入、攻撃のあまりの凄まじさに家康は自害を覚悟したが、 駆けつけた井伊直孝隊により分断、数に勝る徳川勢に押し返 された大坂方は総崩れとなり敗北が決定的となった。信繁は 力尽き安居神社の境内で休んでいるところを、越前松平家鉄 砲組頭の西尾宗次(甚左衛門)に発見され、「この首を手柄に されよ」との最後の言葉を残して討ち取られた。

令和6年度曳山行事 幕洗川一区
ユーチューブ動画
https://youtu.be/bsmwh1FEVVk

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