委員長名
高 井 清 人
曳山置場所
セレモニーホール土崎駐車場
外題
猛将力戦奮闘空し時は徳川
見返し
錦上添花 祝いに集う 二十五の山車
解説
徳川家康は豊臣政権において徐々に勢力を伸ばしていた。
前田利家が死亡し敵する大大名は上杉と毛利のみであった。
そこで家康は謀反の疑いかけ上杉討伐の軍を起こし会津で
対陣した。互いに調略戦をしていると、京で石田三成が兵を
起こした。そこで家康は後事を伊達最上に託し京に向かった。
上杉は、佐竹を味方に付、さらに伊達最上を味方にしようと
するが失敗し、家康の再侵攻に備えるため最上攻略を決し、
直江兼続を総大将に約3万の軍勢で総攻撃を開始した。慶次
と上泉は、山形城と長谷堂城の間に布陣し、長谷堂城攻囲戦に
関ヶ原で石田三成の西軍の大敗が伝わり、上杉は対家康戦を
諦め兵を退いた。その後、最上伊達軍の追撃を受けるが水原や
慶次の奮戦で切り抜け、会津に戻った。
会所開
7月17日 午後7時00分
曳山写真
平成19年
写真提供 越中谷写真商会