委員長名
小 幡 登志夫
曳山置場所
能登谷 良市宅 駐車場
外題
土佐を領した智将、一豊の快挙
見返し
安倍総理 還元水で 腹くだす
解説
天正元年(1573)八月、再度朝倉攻撃では秀吉の
(みなざき)
部下として参戦し、朝倉方の強弓の勇名高い、三段崎
勘右衛門の矢を受け左目もとから右の奥歯まで射通
されたがこれに屈せず、勘右衛門の首を打ち取った。
この戦功により遠江掛川城主五万石の領主となった。
秀吉の死後は慶長五年の徳川家康による会津の上杉
攻めに加わり、さらに関ヶ原の戦いにも参戦して、徳川
家康に忠誠を誓った。
内助の功と論考により土佐二十万石の一国一城の
領主となった。
会所開き
7月16日 午後6時30分
曳山写真
平成19年
写真提供 越中谷写真商会